プロ野球のイチロー選手がまだ、日本にいた頃、オリックスの時代に、落合博光と対談している動画があるんです。凡人には、二人が何を話しているのか、よく分からないんです。イチローが「ようやく去年くらいから、線でスーッと来て、点でとらえるという形ができるようになったんです。」っていう。そしたら落合は、「いい選手は、線できたものを点でとらえるんです。」とかいうんです。皆目見当がつかないという訳ではありませんが、どういうイメージのものなのか、具体的には全然分からない。自分よりはるか高い次元の人って、すごいという事は分かるけど、実際には、よく理解できなかったりします。
ルターとか、ボンヘッファーとか、カール・バルトとか、いわゆる巨人と言われる人は、いまだに研究され続けている。研究しても、分かり尽くす事はありませんし、それでも、ほんのわずかでも、理解したい、そういうものが現れ続け、研究が続けられています。
今日の福音書の箇所は、成人したイエスさまが、初めて登場する箇所です。洗礼者ヨハネは、多くの人を集め、悔い改めの洗礼を授けていました。その洗礼者ヨハネが、私の後から来るものは、私よりはるかに優れており、私はその方の履き物お脱がせする値打ちもない、そう予告していました。その方と、洗礼者ヨハネが、いよいよ相対する場面です。
この二人の対話は、私たちにとって、イチローと落合の野球談議のようで、皆目見当がつかないという訳ではありませんが、その一語一語が、何を意味しているのかは、はっきりと分かりません。しかし、それでも感じることの一つは、洗礼者ヨハネはイエスさまのことを自分よりもはるかに大きな存在だと感じていることです。ヨハネですら、イエスさまの言葉や振る舞いがすぐには理解できていない部分もあるように感じられます。
イエスさまは、洗礼者ヨハネから、洗礼を授けてもらうために現れたと書かれています。ヨハネはそれを思いとどまらせようとした、そう書かれています。私の方こそ、あなたに洗礼を授けてもらうべきだと、ヨハネはイエスさまに言います。
ルターでさえ、いまだに研究され続け、それでもまだ、分かり切らない人です。イエスさまを理解し尽くす、神を理解し尽くす、それは人間にとって不可能なことです。聖書の端から端まで暗記したとしても、神さまを理解し尽くたということにはまったくなりません。イエスさまは、聖書よりもはるかに大きな存在です。神さまは、聖書よりも、はるかに、はるかに大きな存在だからです。神は生きておられます。聖書にこう書かれているから、神はこうでしかない、などとは言えない存在です。しかし、それでも、聖書は、神さまの片鱗、イエスさまのみ姿を垣間見ることのできる、最大の書物です。
イエスさまは、洗礼者ヨハネに洗礼を授けてもらおうとする、罪人の一人として、現れます。それに、ヨハネ自身は戸惑っています。ここで垣間見られるのは、イエスさまは、ヨハネの思いを超え、私たちの思いを超え、謙遜な方だということです。僕の姿になれる方です。思いとどまらせようとするヨハネに対し、イエスさまはこういいます。
「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」
ここでイエスさまが言われる、我々とは誰のことでしょうか。素直に読めば、イエスさまとヨハネです。しかし、ヨハネの方はふさわしくない、と感じています。すべてのことが起こり、すべてが分かり後になってみると、理解できるようになるのかと言えば、そうでもない気がします。やはりヨハネが、洗礼を授けるべき側と、今の私たちは思えるでしょうか。今、私たちは、父と子と聖霊の名によって、洗礼を受けます。最後の節を読むと、これは父と聖霊による洗礼でもあります。イエスさまの方が洗礼を授けるのにふさわしい方だ、というのは今から振り返っても正しいことのように思えます。
しかし、ここでイエスさまが言われる「我々」が、イエスさまが私たち人間のひとりに加わってくださり、人間全体を含めて「我々」と呼んでいるなら、少し理解できる気がします。イエスさまは人となった方ですが、唯一人の中で罪人ではない方です。それでも、イエスさまは、私たち罪人の側に加わり、罪人の側に立ってくださる。イエスさまご自身に必要はなくても、私たちの一人となって、我々には、悔い改めの洗礼を受けることが必要だと語ってくださっているのかもしれません。これは生涯の最後に、私たち人間を代表して、私たちの身代わりになり、十字架を担い、私たちの代わりに罰を受けてくださるイエスさまを思えば、十分あり得ることです。この方は、私たちの思いを超えて、私たちを愛し、私たちの側に立ち続けた方です。私たち弱い人間に、大きな愛を持った救い主が加わってくださった。主は、ふさわしくない我々と共に居て、弁護者、慰め主、救い主として共にいて下さいます。私たちは弱くても、私たちの見方は強い。主と共に生涯を歩みましょう。
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