202618日 顕現後第2主日

                 ヨハネ福音書1章29~42節 「 神の小羊 」 

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、"霊"が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『"霊"が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

   今でも時々思うことがあります。罪人の罪をゆるし、罪人を贖うために、イエスさまが受難の道を歩み、十字架にかける必要があったのだろうかと。黙って、私を信じる者は、罪赦され、贖われる、そう言い残して安らかに死んでいってもよかったんじゃないか、そう考えることがあります。
  正しいものが身代わりに苦難を受けるという考え方は、聖書に繰り返し出てくるとは言えませんが、イザヤ書53章に「苦難の僕の詩」と呼ばれるものがあります。この詩が、誰のなんの出来事に由来するのかは、いまだに分かっていません。キリスト者が読むと、イエスさまの十字架の出来事を事前に預言していたとしか、思えないものです。人々の罪を身代わりに負ったこの人は、屠り場に連れて行かれる羊のように、何も言わなかったと書かれています。
  身代わりの血による贖い、という考え方は、旧約聖書のかなり重要な場面で出てきます。エジプトで、奴隷であったユダヤ人がモーセに率いられてエジプトを出ていこうとしますが、エジプトの王ファラオは、それをゆるさず、エジプトに災いが起こり続けます。神がエジプトに与えた最後の災いは、エジプトに住むすべてのものが、家畜も含め、長子、長男がすべて死ぬ、という災いです。ユダヤ人も含めてです。ただし、ユダヤ人たちはモーセの指示によって、身代わりの羊の血を門に塗れば、その災いが過ぎ越していくことを教えられます。モーセの指示に従って羊の血を塗ったユダヤ人たちは、災いが過ぎ越され、その混乱の中でエジプトを脱出していきます。この過越しの出来事は、ユダヤ人たちに深く記憶されるよう、毎年、ユダヤ人の最大の祭り、過越し祭で再現されていきます。
  イエスさまが、十字架につけられたのも、この過越しの祭りの最中です。今日の福音書の箇所は、洗礼者ヨハネとイエスさまが出会う場面です。ヨハネ福音書では、イエスさまが洗礼を受ける姿は描写されていません。それよりも、伝えたいことがあったようです。洗礼者ヨハネは、二日続けて、イエスさまに出会っています。ヨハネは繰り返し、弟子たちにイエスさまを指して、神の小羊だ、そう告げています。二日目には、ヨハネの弟子二人が、イエスさまの弟子になっています。カール・バルトはこの個所で、洗礼者ヨハネは、誰よりも早く、イエスさまの十字架を予見していたものだと語っています。
  私たちは、神さまに罪赦されたものです。これから先も、私たちは罪を犯すでしょう。しかし、悔い改めたならば、神さまはそのたびに赦してくださいます。何度でも何度でも赦してくださいます。じゃあ、これからは、罪を犯し放題か、というと決してそういう思いにはなれません。結果的に罪を犯してしまうものですが、罪を犯してよい、とは思えません。この罪の赦しという恵みのために、イエスさまが血を流されたことを知っているからです。十字架で苦しまれたことを知っているからです。赦しは、神の小羊である、イエスさまの尊い血によって、与えられたものだからです。神の小羊、ラテン語にすると、アグヌス・デイです。今日はこれから聖餐式があります。イエスさまの流された尊い血によって、赦しをいただきましょう。

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