202615日 主の変容

                 マタイ福音書17章1~9節 「 明けの明星 」 吉田達臣

17:1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 17:2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 17:3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 17:4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 17:5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。 17:7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」 17:8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
17:9
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

  今日の福音書の箇所は、「六日の後」という言葉から始まっています。何の六日後なのか、それはペトロの信仰告白から六日後です。しかし、それよりむしろ、イエスさまの受難、十字架が初めて予告されてから、六日後でもあります。
  今日の主日は、主の変容、変容主日です。それは、今週の水曜日から、四旬節、受難節に入っていくことを示しています。福音書の流れも、この信仰告白、受難の予告、変容の出来事を頂上にして、下り坂、受難の道へ向かっていきます。なぜ、神の子、救い主が受難の道を歩み、十字架で死ななければならないのか、いまだに不思議に感じることがあります。
  今日の箇所では、イエスさまが3人の弟子だけを連れて夜、山に登られます。イエスさまは、しばしば、夜一人で山で祈られる姿が描かれています。今回は、その祈りの秘密を3人の弟子たちに見せているようです。山で祈っていたイエスさまは、弟子たちの前で輝き始め、モーセとエリヤが現れ、語り合ったといいます。その後、光り輝く雲に覆われ、神の声が聞こえる。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」

   弟子たちは非常に恐れたと書かれています。聖書が示す神の特徴です。求道者の方と話していて、自分もそうだったと思い出したことがあります。聖書に出会う前は、神さまのことを魔法を使える、やさしいおじいさんのようなイメージを持っていました。しかし、本当の神は、出会えば畏れを感じる方だと聖書は教えます。そして、聖書の語る神さまの特徴のもう一つは、優しい方というより、愛を持つ方です。激しい愛を持った神です。イエスさまによって示される、神さまの愛の激しさは、自らの命を捨てて、友を救おうとする、そんな友の愛の激しさです。
  イエスさまを知る時、この方の愛に拒絶されることはないだろうと感じます。罪人をも愛し、死刑になるほどの罪人、共に十字架にかけられているものにも、楽園を約束される方です。キリスト者を迫害していたパウロを、宣教者として用いる方です。求めれば、この方の愛に拒絶されることはありません。
  この方に、希望の光を灯せないほどの絶望は、この世界にはないと感じます。死の中にも復活という希望を灯しました。その死も、冤罪で死刑になるという死に方です。しかも、弟子たちに裏切られ、逃げられています。どれだけ深い絶望にも、イエスさまは希望の光を灯すことができます。イエスさまは、闇に光を灯すため、できるだけ深い闇まで入っていき、そこに光を灯される方です。
  イエスさまが受難の道を歩みとおすための秘訣、秘密、裏切られてもなお人を愛しとおすための秘密は、父なる神に愛されることでした。3人の弟子は、イエスさまがなぜ山に祈りに行くのか、その秘密を明かされました。
  イエスさまの光は、困難な道を耐えながら歩む、弟子たちの希望の光にもなりました。ペトロは、3度裏切りの言葉を言いましたが、それはペトロだけが、最後まで十字架のイエスさまを追いかけたからです。みんな裏切って逃げた弟子たちでしたが、そこで離散したわけではなく、なぜか鍵をかけながらも、同じ部屋に再び集まっていました。どこかで希望が残っていた。そこで、復活のイエスさまに出会いなおす。今日の第二日課はペトロの第二の手紙です。その手紙にこう書かれています。

1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。

  人生は思ったほど、うまくはいきませんが、どんな絶望にも、救いを与える方がいます。夜が明け、明の明星があなたの心の中に昇る時まで、暗いところに輝く灯であるイエスさまの光を、心に保ちましょう。

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